令和元年度 修了式 校長式辞
浮工生、諸君。こんにちは。 新型コロナウィルス感染症対策として、令和元年度修了式を行うことができません。残念至極です。そこで、浮工HPにUPします。
令和元年度が終わります。皆さん、どのような想いでこの日を迎えていますか?
昨年5月以降、新たな元号「令和」で新年度がスタートしました。諸君にとっても記念すべき様々な思い出を刻んだ一年ではなかったでしょうか。
私には、元号が変わることが人生において二回目ですが、「昭和」の終わりに、結婚をして父となり新米教師となったので、「平成」と元号が変わったことより、自分自身の生活が大きく変わったことの方が思い出深く、あまりこれといった記憶がないというところが正直な話です。
昭和天皇の崩御により、いきなり「平成」となったあの頃から比べてみるまでもなく、改めて先の天皇陛下、上皇の生前退位という大英断に甚大なる敬意を表すものであります。
さて、諸君の「夢」は何ですか?誰かに、具体的に語れますか?
昨年の修了式では、徳俵の話をして、朝乃山に触れました。
そんな彼が、横綱という「夢」に向かって、春場所でまずは、大関を目指して戦おうとしています。(これまた、残念なことに無観客ですが)
当時、阿武咲や御嶽海といった力士が注目されていただけに、朝乃山の令和になってからの躍進には目を見張るものがありますね。
ところで、今年のPTA広報誌「こせがわ」に、卒業した3年生と私がともに過ごした3年間について認めました。式辞等で音楽に関する特にロックの話を多用したエキセントリックな校長でごめんなさいといった内容です。
そこで、令和元年度の修了式でも、締めにロックネタを披露します。
1948年生まれの御年71歳のロックギタリスト、トニー・アイオミについてです。1960年代後半から、活躍したイングランドのバンド、オジー・オズボーンがいたブラック・サバスの一員です。
若い頃、板金工であった彼は、プロギタリストとなるべく工場勤務最後の日に、プレス機で右手の中指と薬指を切断してしまいます。この致命的な怪我に絶望感を抱いていた彼に、工場長がスペインのジャズ・ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトのアルバムを聴かせたのです。
実はジャンゴも、18歳の時に火傷で左手が大きく変形していました。それでも、独特のフレーズを奏でるギターサウンドは、トニーに大いなる勇気と「夢」を諦めない力を授けたのです。
それから、トニーは洗剤容器のキャップを熱で溶かして作ったチップを指にはめて猛特訓を重ねて、再び弦を押さえることができたのでした。
左利きのトニーは、弦のテンションを下げて押さえやすく工夫したことで、従来にない低音の歪んだギターを弾いて、後のヘビーメタルのギタリストに大きな影響を与えたのです。
「夢」を諦めず、追い続けることの大切さをトニーは証明してくれたのです。どのような苦境に陥ったとしても、努力することができたのは、同じ境遇の先人がいたことも、少なからず励みになったといえます。
そこで、皆に伝えたいことは、「『夢』は逃げない。」ということです。
多くの人々は、「夢」のある場所が分かっていながら、努力を惜しみ自身の限界を自分勝手に決めて、「夢」から逃げている。
どうか、浮工生は、「夢」に向かって努力し続ける人間であってほしいと強く祈念して校長式辞とします。
令和2年3月吉日 福岡県立浮羽工業高等学校長 大野 肇
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